令和に手で脱水する女

記録の為に日記をつけ始めた。

せっかくなのでつけている日記で面白いものがあったら、投稿したいと思う。

 

日記にはプライベートなことも書いているので、人に見せられる一部分だけ。

 

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ずっと日記を書こう書こうと思って、書けていなかったが、

山田詠美さんの半生を振り返るエッセイ「私のことだま漂流記」で

自分の気持ちを曝け出している文章を見て、私も自分の気持ちを曝け出そうと決めた。

小難しく考えることなく、かっこいい文章を書くのではなく。

思うがままに日記を書いてみよう。

 

 

自分の気持ちを曝け出すというと、今日、怒ってもいいんだと思うようになった。

実家の洗濯機は古いので、ベンチコートを洗ったところ、うまく濯ぎができずエラーで自動洗濯モードが止まってしまった。

仕方ないので、ベンチコートを洗濯機から取り出して、風呂場で濯ぐ。

そして一生懸命、手で絞って脱水する。

 

この令和に手で絞って脱水している人間が何処にいようか。

中綿のベンチコートは絞っても絞っても水が出てくる。

そもそも150cmの私の足元まである大きなコートなので、袖を絞れば、胴体に水が吸い込まれ、胴体を絞れば裾に水が溜まる。

永遠の脱水。この辺りからイライラし始めて、「あー」とか「はぁー、しんどい」とか荒い独り言が口から出てくる。

 

風呂場で絞っていても終わりが見えないので、外の物干し竿にフード部分を引っ掛けてコートを吊るして、下へ下へ絞っていく。

あっという間に物干し竿の下には水溜りができる。

ここでイライラが頂点に達する。

「あーーー」

「くそっ」

「終わらないよ」

「そもそもベンチコートを洗うのが間違いだったんだよ」

「もうコインランドリーの乾燥機にぶち込もう」

「ふざけんな、ボロ洗濯機が」

「コインランドリーの乾燥機が11000円、私の苦労は1000円ごときか?」

実家の庭でぶつぶつとこんな独り言を呟くのである。

後から振り返ると、近所の人からすれば「外でこんな独り言呟くなんて、あのお家の娘さんおかしくなっちゃったのかしら・・・」という感じである。

 

指先も冷たく、運動不足の私の腕が痛くなってくる。

ベンチコートを絞りもある程度で諦め、水がポタポタとしたたるコートを物干し竿に広げて干す。後は太陽がなんとかしてくれるだろう。

 

イライラを表現するようにどすどすと足音を立てて家に戻り、音を立てて窓を閉めた。1階のリビングで母は毛布を被って、知らぬ顔で横になっていた。

 

後から押し寄せるのは嫌悪感である。

また感情に任せてキレてしまった。まだ復職には早いのか。

また職場でも嫌なことが起きたら、こうやってキレてしまうのか。

 

自己嫌悪から2階の自室に篭り、 布団を被ってうずくまる。

昼ごはんができたと、1階から呼び声がするが無視をする。

 

感情に任せた態度をとってしまった自分が恥ずかしくて、家族に会いたくなかった。

 

しかし暫くして、嫌なことがあったんだから感情を発露させていいじゃ無いかと思う。別に休職中で、ここは実家である。会社ではないのだ。

イライラして母を不快にさせたかもしれないが、誰かに当たり散らした訳ではない。

 

そもそも喜怒哀楽ある人間なのにネガティブな感情を抱いてはいけないと、自分の気持ちを押し込めてるのが良くないのではないか。

 

実際、手でベンチコートを絞るのは辛かった。

でもぶちぶち文句を言いながら、洗濯物を完了させた。

それでいいではないか。

 

人間、聖人君子ではないのだ。

それにまだここは家だ。会社でも、ましてやSNS上でもない。両親も寛容に見守ってくれている。

 

怒り、という感情を認めていいのだ。怒ったり、文句を言いながらも何かを達成できればそれでいいじゃないか。そう思えた。

 

自分の感情を認められたということは私にとって一歩前進だと思う。

 

エンジン01がC県H市にやってきた

和泉の住むCH市に文化人団体エンジン01がやってきた。

そして近所の大学で講演を行なってくれることになった。

 

和泉はコンピュータテクノロジ系の研究者兼アーティストのO氏とAI研究者の第一人者であるM氏の講演を受講した。

 

興味深い新しいテクノロジの話を聞いて、休職中ながらもIT企業でセキュリティ部署に所属し、サイバセキュリティの勉強をしていた和泉は新しいテクノロジとサイバセキュリティの関係が気になった。

 

講演の最後に質疑応答の時間がある。その時に聞いてみるんだ。

講演の途中に和泉はそう思った。

そこから緊張で心臓はバクバクと鳴り出す。どうやって質問するか、O氏はどのように回答してくれるか、と想像が止まらず、講演の内容はところどころ耳に入らなかった。

 

待ちに待った質疑応答の時間。和泉は真っ先に勢いよく手を上げた。

 

O氏の提唱する新テクノロジとセキュリティについて関心があります。新テクノロジが一般技術として普及した際のセキュリティ対策はどのようにお考えでしょうか。既存の技術で対応できるものなのか否か。またか社会的な課題であると考えらておられのかご意見を伺いたいです」

 

言いたかったことは上記の通りである。しかし実際の和泉の質問は酷いものだった。

緊張のあまり、噛み、言い淀み、上記の質問文の一部は欠けていた。マイクを通した和泉の声が教室内に響き渡る。

 

O氏は回答した。

「ああ、秘密鍵をつけて、許可した以外の人間がアクセスできないようにします」

 

和泉には理解できなかった。秘密鍵のことは分かる。セキュリティの基礎的な知識で暗号化の仕組みの一つである。

 

えっ、秘密鍵で暗号化するだけでいいの?

なんかさ、色々、守らないといけないデータがあるんじゃないの。

というか回答の意味、理解できんわ。

聞きたかったことそういう意味じゃない。

学会で質問したくらい淡白な答えだな。

 

回答後、1秒間の間に和泉の脳内に様々な考えが駆け巡る。

ファシリテータの方が補足のコメントをくれるが、まだ和泉には理解できない。

 

O氏が更に回答を続けてくれたが、ほとんど意味が和泉には理解できない。

チラリと横目で会場を見渡すと、ところどころ頷いている人がいる。

 

これは著名なO氏の講演である。実はこの教室内の受講者はほぼコンピュータテクノロジやAI分野の教育を受けた人ではないのか。自分は当たり前の質問をしてしまったのではないのか。恥ずかしさのあまり和泉は頭がカッと熱くなる。

 

和泉は恥ずかしさと、O氏の話している内容が理解できない混乱から何故か席を立ったり、座ったりしながら、結局ほぼ理解できないまま、礼を述べて、質疑を終了した。

 

講義終了後も、というか家に帰っても和泉の頭の中は「自分はものすごい恥を晒してしまったのではないか」という考えでぐるぐるとしていた。

 

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和泉さんへ

 

無知の知という言葉もあります。こんなチャンス二度とないとチャレンジしたことが偉いです。また質問したことでデジタルヒューマンへの関心、AIセキュリティについての関心が高まったのではないでしょうか。これからの人生、いつかこの恥ずかしい記憶が役に立つかもしれません氏、これが人生の分岐点かもしれませんよ。まずはよく頑張りました。ゆっくり休んでください。

 

著者より

映画鑑賞日記_聖の青春(ネタバレあり)

タイトル:聖の青春

見た日:2024/01/19

鑑賞方法:DVD

 

【ストーリー】

将棋をやったことがなくても羽生善治さんの名前はたいていの人が知っていると思う。 羽生さんが若く将棋のタイトルマッチ(竜王戦名人戦など)を片っ端から取りまくっていた時代、「東に天才羽生、西に怪童村山」と言われた羽生さんに並び立つ棋士がいたのだ。その名は村山聖。幼い頃より腎ネフローゼという難病を抱えつつ、入院中に将棋にハマり、10代後半には才能が開花し、プロデビューを果たす。腎ネフローゼは常にむくみ、倦怠感、ひどいときには高熱を出す病である。この病を抱えながら将棋に命をかけ、29歳で亡くなるまでの4年を描いた作品である。  この映画は将棋雑誌の編集者である大崎善生が著したノンフィクション小説「聖の青春」を原作に、多少の改編を加えている。

 

※以下、映画の内容について言及しています。(ネタバレあり)

 

【感想】

お気に入りメーター:75

 

・将棋にある程度興味がある人にお勧め。奨励会の存在や羽生善治の名前は知ってしっておいたほうが面白く読める。

・序盤がテンポ良く進み、主人公となる聖や周りの人間関係を上手く説明してくれるので、一気に引き込まれる。

・あらすじから暗い話かと思われるが中盤までは笑えるシーンもあり、奨励会棋士、その師匠など将棋界について興味深く見ることができる。

 

・将棋のことを今までよく分からず、棋士は何十手先も読むのでとても頭がいいということしか知らなかったが、この映画では棋士とは勝負師である、という事を知った。 対局で勝つか負けるか、それは殺すか殺されるかとも言える。 プロ棋士の制度をまだちゃんと理解できていないのだが、棋士には勝率に比例してランクが付与され、年間に定められた数の対局で勝利できないとしないランクが下がってしまう制度になっているらしい。棋士という人生を選んだ以上、勝ち続けなくてはいけない。

 中盤で会津若松で村山と羽生さんの対局があり、村山が勝利する。その後、二人で飲みに行くという印象的なシーンがある。将棋以外の趣味は合わず、会話は盛り上がらない。「僕たちはどうして将棋を選んだのでしょうね」と村山が羽生さんに聞く。その時に羽生さんは「私は今日、あなたに負けて死にたいほど悔しい」「負けたくないそれが全てだと思います」と答える。村山も「羽生さんの見ている海はみんなとは違う」と答える。「怖くなる。深く潜りすぎて、そのうち戻ってこられなくなるんじゃないかって」羽生さんが応じる。窓の外には雪が降り注ぐ、静かなシーンであるがとても印象的だった。勝ちたい、強くなりたいのではなく、負けると死にたいほど悔しい。 自分が人生で感じたことの感情に、凡人の自分と天才の彼らの間の溝を感じた。 

  またこのとき村山は、自分には夢があるがこの難病を抱えた身体では叶えることができないだろう、しかし難病を抱えたからこそ将棋に出会うことができた、と言う。 29年という村山聖の短い将棋人生。体調が悪い日も多い中、勝率は高く、もしも健康だったら羽生さんと肩を並べる天才になるという人生があったかもしれない。しかし健康だったら将棋をやっていなかったかもしれない。神様のいたずらか、なんと言えば良いのだろう、人が生きることの難しさ。

 この映画は村山聖の数奇な人生が大きなテーマになっていると思う。 命を削って将棋をすること、でも将棋をしなければ彼の満足する人生ではない。 終盤は病に冒され亡くなるまで、弱っていく姿とそれでも将棋を打とうとする姿に圧倒される。  凡人の自分が歩むことのない、複雑な人生。 映画全編に派手なシーン、全米が涙するような感動的なシーン、ミラクルなハッピーエンドはない。静かに村山聖の人生の傍観者となれる、そんな映画だった。

 

・東出くんの羽生さんが信じられないほど似ているし、かっこいい。序盤に羽生さんと村山の対局があるが、そのときは東出くんの羽生さんのかっこよさが脳の半分をしめてしまうくらいかっこよかった。また東出くん本人も将棋を嗜み、羽生さんに演技指導をしてもらったこともあり対局中の表情は本物の羽生さんかと思うほどだった。普段の爽やかなイケメン俳優の表情はすっかり潜み、勝負師の顔つきになった東出くんがとてもかっこよかった。

 

映画の感想を書くことは難しい

今日は映画を見た。

 

感想を残しておこうと思ったのだが、なかなか筆が進まない。

というよりも感想が細切れなのである。あのシーンがよかった、あの俳優の表情がいい、盛り上がりのシーンの構図がとても良かった、などで箇条書きのような感想となってしまうのだ。

 

またプロの映画監督が作った作品に対して、構図が良いや物語を感じさせる映像作りだったという感想もおかしいのではないかと思う。構図が良くて、映像や役者の演技で物語を見せるのが映画だろう、と思ってしまう。そして私も映像についてほとんど知識がないので、この監督独特の美しい構図が・・・という判断ができるわけでもない。

 

小説の感想は言いたいことがたくさん出てきてどんどん深まっていくのに、映画の感想は発散してしまう。難しいなぁと思った。

 

せっかくなので映画の感想を書くのが何故小説に比べて難しいのか考えてみた。

それは映画は視覚的な作品のため、小説に比べて見た感想を書くことが難しいからだと私は思う。

 

小説をどのように読むか、文字を淡々と追うタイプ、頭の中で読み上げるタイプ、人それぞれだが、私は映像+五感で感じるタイプだ。

これは4DX映画のようなもので、頭の中にイメージが浮かんでいるのだが、主人公の感情や表情、街の景色、温度、匂いなどを自分の過去の経験から引っ張り出してイメージするのだ。

その為、私にとっての読書は作者が作った作品を私が頭の中でイメージ化、追体験することで完成する行為だと思っている。

 

しかし映画は既に映像となって提供される。 主人公の見た目、舞台の町、人の表情、天気、映画に写る物全てがストーリーを伝えてくる。すると私はその物語の傍観者となってしまう。   

 

もちろん心を動かされたり、自分の糧になったなと思うことはあるが、小説のほど深く考え込むことはない。どこかの誰かの話を聞いているような感覚だ。

他人の話を聞いてタメになったなとか、色々大変な人もいるんだ、などと感想を抱くが何かそこから私は深く考えることがない。

 

上手く言葉に言い表せないが、小説は自分が追体験するが、そのシナリオは誰かが作った物語であることから、この追体験の意味は何か、リアルの自分はどう感じたか、作者はどんな人で何故この物語が作られたのか・・・など考えることが溢れてくるのだ。

 

以上が私が考えた、映画の感想を書くことは難しい理由だ。

 

色々と述べたが、現代では素人からアマチュア、プロの評論家まで映画の感想がSNSでバズっていることが多い。小説に比べて圧倒的に多い。なので私がただ小説が好きで、映画を見るのが得意ではない、ということなのだろう。

 

誰か参考にしたいと思う映画の感想ライターさんを探してみるのもいいなと思った。