和泉の住むC県H市に文化人団体エンジン01がやってきた。
そして近所の大学で講演を行なってくれることになった。
和泉はコンピュータテクノロジ系の研究者兼アーティストのO氏とAI研究者の第一人者であるM氏の講演を受講した。
興味深い新しいテクノロジの話を聞いて、休職中ながらもIT企業でセキュリティ部署に所属し、サイバセキュリティの勉強をしていた和泉は新しいテクノロジとサイバセキュリティの関係が気になった。
講演の最後に質疑応答の時間がある。その時に聞いてみるんだ。
講演の途中に和泉はそう思った。
そこから緊張で心臓はバクバクと鳴り出す。どうやって質問するか、O氏はどのように回答してくれるか、と想像が止まらず、講演の内容はところどころ耳に入らなかった。
待ちに待った質疑応答の時間。和泉は真っ先に勢いよく手を上げた。
「O氏の提唱する新テクノロジとセキュリティについて関心があります。新テクノロジが一般技術として普及した際のセキュリティ対策はどのようにお考えでしょうか。既存の技術で対応できるものなのか否か。またか社会的な課題であると考えらておられのかご意見を伺いたいです」
言いたかったことは上記の通りである。しかし実際の和泉の質問は酷いものだった。
緊張のあまり、噛み、言い淀み、上記の質問文の一部は欠けていた。マイクを通した和泉の声が教室内に響き渡る。
O氏は回答した。
「ああ、秘密鍵をつけて、許可した以外の人間がアクセスできないようにします」
和泉には理解できなかった。秘密鍵のことは分かる。セキュリティの基礎的な知識で暗号化の仕組みの一つである。
えっ、秘密鍵で暗号化するだけでいいの?
なんかさ、色々、守らないといけないデータがあるんじゃないの。
というか回答の意味、理解できんわ。
聞きたかったことそういう意味じゃない。
学会で質問したくらい淡白な答えだな。
回答後、1秒間の間に和泉の脳内に様々な考えが駆け巡る。
ファシリテータの方が補足のコメントをくれるが、まだ和泉には理解できない。
O氏が更に回答を続けてくれたが、ほとんど意味が和泉には理解できない。
チラリと横目で会場を見渡すと、ところどころ頷いている人がいる。
これは著名なO氏の講演である。実はこの教室内の受講者はほぼコンピュータテクノロジやAI分野の教育を受けた人ではないのか。自分は当たり前の質問をしてしまったのではないのか。恥ずかしさのあまり和泉は頭がカッと熱くなる。
和泉は恥ずかしさと、O氏の話している内容が理解できない混乱から何故か席を立ったり、座ったりしながら、結局ほぼ理解できないまま、礼を述べて、質疑を終了した。
講義終了後も、というか家に帰っても和泉の頭の中は「自分はものすごい恥を晒してしまったのではないか」という考えでぐるぐるとしていた。
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和泉さんへ
無知の知という言葉もあります。こんなチャンス二度とないとチャレンジしたことが偉いです。また質問したことでデジタルヒューマンへの関心、AIセキュリティについての関心が高まったのではないでしょうか。これからの人生、いつかこの恥ずかしい記憶が役に立つかもしれません氏、これが人生の分岐点かもしれませんよ。まずはよく頑張りました。ゆっくり休んでください。
著者より